もちろん それは まあでした。
まあはどうやって 背中に二枚の翼をリボンでくくりつけることができたのでしょうか?
しかも きれいな蝶結びで・・・。不思議です!
まあはいつもどおり、あの素敵な窓から、家に入ります。
デグーが、ついうっかりカジカジして、ほんの少しだけ 前よりも大きくなった壁の穴は、まあが翼ぬきで通るのにちょうどいい大きさでしたのに・・・。
もちろん それは まあでした。
まあはどうやって 背中に二枚の翼をリボンでくくりつけることができたのでしょうか?
しかも きれいな蝶結びで・・・。不思議です!
まあはいつもどおり、あの素敵な窓から、家に入ります。
デグーが、ついうっかりカジカジして、ほんの少しだけ 前よりも大きくなった壁の穴は、まあが翼ぬきで通るのにちょうどいい大きさでしたのに・・・。
まあの翼ある生活が、どれほどの期間であったのか、わたしは知りません。キャラメルの箱で作られたしまうまや、トッケイとなくやもりや、心配性のねずみなど、そういった小さな生き物が感じる時間感覚は、わたしたちが感じるそれとは違うはずです。一週間・・・もしかしたら、三日か、四日・・・まあの翼生活はそのくらいだったのかもしれません。それでも、まあが、なにかを感じ、なにかを学び、なにかを想い出すのにじゅうぶんな時間でした。
野原を渡る風は まあの想いを描いてしまうのです。
栄光の翼は・・・まあが、なによりも欲しかった夢の翼でしたが、今は、どうやら・・・少し・・・じゃま・・なのでした。
とりは とんでいるだけではありません。
いろいろと いそがしいのです。
絵をクリックすると おおきくなります。
鳥もまた多忙な毎日をおくっているようです。とても素敵な毎日ですが、大変なこともたくさんあります。
まあは鳥になったらしい・・・・・こうへい村(?)のみんなは、そううわさしたものです。
デグーは、まあのいない 素敵なダンボールの家を守ります。デグーの気持ちは、少しだけ・・・ほんのちょっとにすぎないけど、うっかりカジカジして大きくなってしまった壁の穴に表れているのかもしれません。
小さな心配性のデグー・・・・まあが朝の歌をうたうころ、デグーは疲れて眠りにつきます。
さあ!・・・まあは、深く息を吸い込みます。友達や、なあねこも見守ります。みんなは、「こうへいくんは、いろいろな鳥をつくったけど、まあのは特別に素敵だ。」・・・とか思っているようです。
まあは飛び立ちました。本当に飛んでいるのです。鳥のように自由に・・・風のように空と一体になって・・・・。これほどの幸福な気持は想像したこともありません。
”やあ!” さっきまで、あこがれの鳥だった なにかとは、もう 同じ空の仲間です。”いい天気だね”・・・とか軽く挨拶します。
デグーが、ダンボールの家のそばで、まあを、見ていますが、まあは、気がついたでしょうか。
そして、疲れた時は、こうやって木の枝で休みます。
絵をひとつにまとめます。クリックするとおおきくなります。
やもり曜日・・・というブログを拝見したことがあります。トッケイヤモリが、とても魅力的な生き物であることを知りました。何を考えているのか こちらには、いっこうにわからないのだけれど、へんに一生懸命なところとか、 愛らしいくせに凶暴だったりとか、 目が半端なく いじらしいところとか、 人を引き付けるところが、たくさんあります。
それで、まあの友達として登場してもらった次第です。このページは、ヤモがそれなりに努力して、こうへいくんに手紙を渡した・・・という、結局どうってことないことを表現しました。
まあのあふれる空へのあこがれは、夜見る夢の中では・・・こんなふうになります。
まあのせつない願いを、美しいぐんじょうの・・・私は美しいと思うのですが・・・ぐんじょうの空の色に託して描きました。群青色って、こんなふうでしょうか?
ヤモは、夢の中で思う存分虫を食べます。
しかし、まあ思いのデグーは、一人・・・眠れない夜をすごします。